自分の主張を補強・正当化するために、客観的・科学的な根拠を利用することがあります。
たとえば、
「□□である。」という主張を補強・正当化するために
「〇〇というエビデンスはない。だから、□□である。」
というものです。
これで説得されてしまいそうになりますが、注意が必要です。
「〇〇というエビデンスはない。」ということと、
「〇〇ではないというエビデンスがある。」ということは別の話だからです。
もし、「〇〇ではないというエビデンスがある。」のであれば、そちらを根拠にすれば良いのです。
しかし、それができないということは、
「〇〇ではないというエビデンスもない」のです。
ということは、
「〇〇ではないというエビデンスはない。だから、□□ではない。」
という主張も成り立つはずなのです。
ところが、「□□である。」という主張をしたい人は、このことに触れることはありません。
そして、あたかも客観的・科学的に根拠がある正当な主張として、「□□である。」と結論づけるのです。
正当な主張をするには、エビデンスがないことではなく、エビデンスがあることを根拠にするべきなのです。
鶴田先生のマスクの話
マスクがコロナウィルスの感染を 100% 防ぐというデータはない。
だから、マスクはしない。
マスクは、コロナウィルスの感染を 100% 防ぐことはない(防ぐ可能性は 0% )というデータもないのです。
マスクをすることで感染を100% 防げなくても、そのリスクを少しでも低減するのであれば、ハイリスク群の患者を担当する医療従事者としては、マスクをする意味はあるのです。
」「 エコーチェンバー現象 」「
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