現実とは、今、直接あなたの五感で確かめられること。
もし、人里離れた山奥で、誰にも気づかれず、誰にも見られず、誰にも聞かれずに大木が倒れたとする。
しかし、それを認知・認識する人は誰もいませんでした。
としたら、その出来事は本当に存在していると言えるのでしょうか?
それと同じように、あなたが直接五感で確かめられないことは、あなたにとっての現実ではないということです。
いや、テレビでやってた。友だちがその場にいた。
と言うかもしれない。
でも、テレビでやっていたのを見たのは、テレビで放映しているのをあなたの五感で直接確かめただけなのです。
あなたにとっての現実は、テレビで放映していたということだけです。
放映の内容は、編集もされているだろうし、解説も全てを表現しきれていないだろうし。
友だちがその場にいた、というのも、友だちにとっては現実だったのかもしれないけれど、あなたの現実は「友だちその場にいたと言っている」ことである。
友だちもその場の全てをあなたに説明できているワケではありません。
音や匂いを正確に伝えられるワケではありません。
あなたにとっての現実は、「その場にいたと言っている友だちがいる」ということなのです。
現実をこのように定義していくと、感じ方・考え方・あり方が変わっていきますよ。
あなたが過去に経験した出来事。
それを思い出している今のあなた。
今のあなたにとっては、その過去の出来事は現実ではありません。
あくまでも思い出している過去の出来事です。
」「
そして、自分の現実から遠ければ遠いほど、
今直接あなたが五感で確かめられる情報が少ないほど、
例えば、友達の話よりも、テレビで放映されていることのほうが、
あなたが受け取る情報は、より大げさに受け止められることになる。
それは、足りない情報を想像・妄想で埋め合わせるからである。
この埋め合わせする情報は、あなたの思考の癖の影響をモロに受けるからです。
例
親が子どもを殺害したという事件について、テレビで扱ってている。
それを見て、
「血のつながった親を殺すなんて、近頃の子どもはひどいな。」
と考える人がいる。
「子どもが親を殺すなんて、よっぽどの事情があったに違いない。
親が子どもをひどく虐待してたのかもしれないな。」
と考える人がいる。
普段、その人が考えていることを、テレビで見たことに投影するので、このような違いが生まれるのです。
前者は親目線で見ていて、後者は子ども目線で見ている。
前者はもしかしたら、自分が何も悪くなくても相手がひどければ、自分が被害者になってしまうかもしれない、と普段から考えている人なのかもしれません。
後者はもしかしたら、子どものころに親から虐待をされていたり、誰かにいじめられていた人なのかもしれません。
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